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東武熊谷線廃線跡を歩く~これが本編

5月26日の話の続きです。
前々回の記事で、おおみや鉄道ふれあいフェアの後の予告をちょっとだけ出しましたが、お分かりになられましたでしょうか?

答えはというと、タイトルにもある通りあれは東武熊谷線の廃線跡です。
東武熊谷線は、かつて高崎線の熊谷駅から出ていた路線で、熊谷~上熊谷間は秩父鉄道と並走、そこから北上して利根川近くの妻沼という場所を結んでいた全長10キロの短い路線です。

計画としては今の東武小泉線と結ばれる予定でしたが、利根川を渡ることなく、伊勢崎線系統にも東上線系統にも属さない独特な路線になってしまい、今から約30年前の1983年に廃止となってしまいました。

廃止から約30年経つこの東武熊谷線ですが、今も廃線跡は色濃く残っており、首都圏で手軽に廃線跡ウォーキングが出来るということで、自分としては前々から行きたいなと考えていたのでした。

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というわけで、まずは大宮から北上して熊谷へ。乗車した車両はJR東日本の東海道区間から引退してしまった211系でした。房総地区の211系も配給輸送されたみたいですし、この湘南色の211系も関東からはもうじき見納めでしょうか。

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熊谷からは4月末以来に秩父鉄道に乗車。ちなみに写真は乗車した車両では無いですが、この羽生方面の電車が停まっているホームは、かつては東武熊谷線が使っていました。

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ところで秩父鉄道ホームの乗り換え案内の看板、よく見ると方面が「上野・高崎・渋川・長野方面」となっています。新幹線は別に記載されていることから、おそらくこれは長野新幹線開業以前から使われているんでしょうかね。今となっては渋川方面も臨時のみですし、なかなか年季が入っているものと見受けます。

20120526020.jpg

駅を出発すると緑色のデキが停車していました。おそらく以前のパレオ用の12系に合わせた塗装だと思うのですが、こちらも茶色に塗り替えたりするのかな?

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そして上越新幹線の高架をくぐり高崎線に寄り添うように走りだすと、その高崎線の複線(右側)と秩父鉄道の単線(左側)の間にしばらく使われていない線路が現れます。これがかつての東武熊谷線の線路で、実は熊谷~上熊谷(より少し先まで)の間にはなんと、約30年前の線路が今も残っている区間なのです。

計画としては東武熊谷線廃線後は秩父鉄道の複線化に使われる予定だったみたいですが、実際はそこまで需要が無かったんでしょう。今もこうやって線路だけが残っています。

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こうして上熊谷駅に到着。上熊谷駅もかつては東武熊谷線の駅で、こうして秩父鉄道と同じホームを共用していた名残が今も残っています。ちなみに上写真は奥が熊谷方。

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妻沼方はこんな感じ。上熊谷駅を出てすぐに秩父鉄道と別れるというわけではなく、まだ少し先まで並走しています。ちなみに写っている車両はここまで乗ってきた7500系。

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上熊谷駅の写真を撮っているとEF510が牽引する貨物列車が通過。北斗星色はよく見かけますが、カシオペア色が貨物を牽引する姿は初めて見ました。

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秩父鉄道の上熊谷駅の駅舎。小ぢんまりとしながらも、改札口がちゃんとあり、地方の小駅としては立派です。ちなみにこの上熊谷駅、駅舎内の運賃表は東武熊谷線時代のものが使われており、とうの昔に無くなった駅であるはずの「妻沼」の文字があったりします。
線路以外にもこういったところで廃線跡を楽しめるのが東武熊谷線のいいところです。

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ちなみに先ほどの秩父鉄道沿いの東武熊谷線の線路、踏切では見事にアスファルトで無くなっていますが、単純にアスファルトで埋めただけのようで、線路を剥がされているようではないみたいです。

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さて上熊谷からは廃線跡ウォークを開始。駅を出てしばらく線路沿いを歩いていきます。ここもまだレールが残っていますが、地元の住民の方が庭の延長線として活用状態に…。

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そこをもと東京都交通局の6000系が通過。もし東武熊谷線が今も残っていたら、思わぬ共演が実現していたかもしれませんね。

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このまま秩父鉄道沿いにずっと歩いていきたいところですが、東武熊谷線の廃線跡をトレースする場合は、上熊谷駅から2つ目の上写真の地点の踏切を渡ります。おそらく東武熊谷線の廃線跡トレースで一番重要な地点なのではないでしょうか?ここで渡り損ねると戻るのが大変になりますし。

なお、この2つ目の踏切の地点でレールは草の中へ。写真奥の石原方で秩父鉄道から分岐していたはずなのですが、目視するのは難しいです。

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この2つ目の踏切を渡った先にあるのが東武熊谷線の廃線跡を活用した遊歩道「かめのみち」。何故「かめ」なのかというと、開業当時の東武熊谷線に使われていた蒸気機関車の速度が遅くまるで「亀」のようだったため、「かめ号」と名付けられておりました。その名前がこの遊歩道にも名前として残っているわけです。

なお、「かめのみち」というだけあって至る所に「かめ」のモニュメントがあります。

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その他にもこのように意味もなく踏切のモニュメントがあったりします。ここに踏切があったのかは不明ですが。

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「かめ号」と名付けられた休憩所。一応、廃線前に走っていたキハ2000形を模してはいるみたいですが、似ているかというとかなり微妙。ちなみにドア上(?)にあるサボには「妻沼―熊谷」の文字がありますが、この「かめのみち」が妻沼まで続いているわけではなかったり。

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「かめのみち」自体は熊谷線跡地を使ってはいますが、このように曲がりくねっており、かつての熊谷線を味わうのはちょっと難しいですね。おそらく交差している道路付近に踏切があったと思うのですが…。

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「かめのみち」をしばらく歩いていると、上熊谷駅で別れた高崎線とぶつかります。東武熊谷線時代はここをオーバークロスで越えていましたが、今となっては築提が崩されており、「かめのみち」はここで分断されています。ちなみに奥にはチラッと高崎線のE231系が見えます。

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しかしこの高崎線のオーバークロス跡の地点の横に回ると、このように水路を跨ぐ東武熊谷線のアーチ橋が見えます。

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近くの踏切を渡り、高崎線の北側へ回り込んだところ。奥が熊谷方で木が生えているところが築提跡です。ここもかつて鉄道が走っていたことを把握するのはちょっと難しいですね。

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しばらく歩くと国道17号とぶつかります。手前の横切る道が国道17号、東武熊谷線は奥の木々の方が熊谷方となっており、空き地を通過し写真手前側に繋がっていたもの思われます。

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国道17号と交差してしばらく歩くと、これまでのように道の両側に生えていた街路樹は無くなり急に視界が広がると間もなく「かめのみち」が終了。よく見ると右側の境界の柵は鉄道でよく見かけるアレですな。

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そして「かめのみち」が終了すると…

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東武熊谷線廃線跡は建設中の道路に変貌。歩道部分は既に完成済みの道路ですが、車道部分は2車線の幅がありながらダートのまま。おそらく国道17号と妻沼方面を繋ぐ道路にする予定だったと思いますが、現状はこんな感じ。おそらく10年くらいはこのままらしいので、整備されるのはいつになるのやら。

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未整備道路を歩くと少し遠くに国道17号熊谷バイパスの高架が見えてきますが、この付近にあったのが大幡駅。開業当時は交換駅でしたが、晩年は交換設備は無くなり単式ホーム1面1線の配線でした。
現在はというと、気持ち少し広くなったかなという程度で、駅があったとされる痕跡はパッと見た感じでは分かりません。強いて言えば、鉄道用地に立てられている柵が右側にチラッとあることで分かるくらいでしょうか。

20120526042.jpg

国道17号熊谷バイパスの高架下から熊谷方を。
この写真の右側にも鉄道用地に立てられることの多い格子状の柵が見えますね。

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国道17号熊谷バイパスをくぐると、ここまであった歩道らしきものが消滅。とうとうただのダート道になってしまいました。強いて言えば未だに2車線分は確保されているということでしょうか。

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しばらく歩くとこんな看板が。
「この道路は農耕車のみ通行可能です」・・・完全に農道じゃないっすか。

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一応、工事中という扱いみたいですが写真のように普通に犬の散歩やらチャリで通過していく方が多い辺り、完全にこの辺りの生活道路のようです。まぁ、妻沼から熊谷への最短ルートみたいなものですから、自転車で走る分には便利なんでしょうね。

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しばらく行くともう周囲は完全に畑や田んぼに。昼間は良いですが、夜は街灯が無いですから、この道をチャリで走る気にはなれませんね…。

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そんな農道兼生活道路を歩いていると短い区間ですが道路が狭くなります。前々回の予告で使用した写真ですが、この部分こそ熊谷~上熊谷付近以外で東武熊谷線跡を色濃く残す場所。この細い道の部分は分かる人には分かりますが土盛りの軌道跡。
レールは剥がされてしまっていますが、それ以外は往時のままかと思われます。

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短い熊谷線の遺構を通過すると県道341号線とぶつかります。

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県道341号線側から。斜め左手前から斜め右奥に伸びていたのが熊谷線で、ここから先は普通の舗装道路に変化します。

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周囲の風景は農地と住宅地を繰り返す郊外の様相となり、道路も普通の道路と歩いている分にはやや苦痛になりますが、実はこの区間でも熊谷線の痕跡は残っています。

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例えばこの橋。一見普通の橋に見えますが、橋の名前をよく見ると「とうぶはし」、つまり「東武橋」というわけで名前の由来が東武熊谷線から来てるわけですね。

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そしてこの道路を歩いていて至る所に見つかるのが敷地区域標。「東武」の文字から分かるようにここにはかつて東武鉄道の敷地があったことを示しています。

また歩いているとよく分かるのは少し古めの家を見ていくと、この道路に面した玄関がないということ。こういうところからもここには道路以前になにか別のものがあったのでは…と推測できるわけです。

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そんな中を延々と歩いてようやく終点の妻沼駅に到着。奥が熊谷方です。大幡駅以上に妻沼駅は痕跡がサッパリ残っていないため、上写真の商業施設を目印にするのが良いと思います。

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前写真の右横に広がっているこの空き地が妻沼駅跡。コンクリートの基礎だけが残っていますが、それ以外は完全な更地で駅舎と、併設されていた車両基地は幻のものとなってしまっています。

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さて、東武熊谷線廃線跡のトレースはここで終了ですが、ここまで来たら見ておきたいのがこの近くにある市立妻沼展示館に保存されているキハ2000形キハ2002。東武熊谷線で使われていた気動車で、3両が在籍していました。そのうち2両は廃車・解体されてしまいましたが、この2002だけはこの妻沼展示館に保存されています。

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ちなみに色は今でいう末期色に近いセイジクリーム1色に塗られています。この色を伝える東武の車両としても貴重な存在と言えます。

さて、これで東武熊谷線廃線跡のトレースは完了。本当はまだ続きがあったりするのですが、今回は時間切れということで帰還することに。

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ついでに国重要文化財に指定されている旧坂田医院診療所を外観だけ見学。1931(昭和6)年に建てられたもので、鉄筋コンクリート製のモダンスタイルの洋館になっています。

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妻沼仲町バス停から朝日自動車のバスに乗車し、利根川を渡って東武鉄道の太田駅へ。行きはJRでしたが帰りは東武で。

ホームに上がるとソラカラちゃんラッピングの200系が出発していきました。
東京スカイツリー、タワー自体には興味はあまり無いのですが、下にある施設は個人的にはかなり気になっています。先日もプラネタリウムを観に行きましたが、非常に綺麗でした。

20120526060.jpg

ちなみにお金の無い自分は鈍行で帰還したというのはここだけのお話。

以上、東武熊谷線廃線跡探訪でした。
自分もまだ完全にトレースしきれていないので、近々再訪問したいと考えています。
その時は続編も…。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

  1. 2012/06/16(土) 20:12:00|
  2. 鉄ヲタの鉄道の話題
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5
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コメント

 当時、熊谷市内で学生をしていた者です。田舎の廃線を記事にしていただきありがとうございます。

 私は地元民だったのですが恥ずかしい話、一度も妻沼線(と地元は呼んでました)に乗ったことがありませんでした。いつでも乗れると思っているうちに廃線になってしまいました。今となっては非常に残念でなりません。

 いくつか当時の動画が YouTube などにあるようですね。このページの写真といい、昔を懐かしむ者にとっては良い世の中になったな、とも思いました。
  1. 2012/06/20(水) 21:42:53 |
  2. URL |
  3. とおりすがり #-
  4. [ 編集]

>とおりすがりさん
コメント有難うございます。
こちらこそ、自分は東武熊谷線の現役時代を知らない世代なので、走っていた当時のエピソードを書いて下さり有難い限りです。

自分もいつでも乗れると思っていたら廃線になってしまった路線はいくつもあるので、やはり気が付いた時に乗っておく・記録しておくことが重要だと常々感じております。

当時の映像や写真については自分も今回のようにトレースする時には非常に役に立っております。以前は書物のみで、文献が古いほどトレースは難しくなったものですが、現在のように情報が手軽に発信できるようになると、遺構の位置も追いやすくなりますから、当時を知らない人間にとっても良くなった、と思いますね。
  1. 2012/06/22(金) 09:07:47 |
  2. URL |
  3. ヤツメウナギ #RQ.tHLaA
  4. [ 編集]

妻沼に住んでいる学生です。私はニュータウン入り靴というバス停を使って毎日学校に通っていたのですがそこが妻沼駅あとだったことをこの記事を似見て知りました。いま大学のほうで鉄道を使った街づくりを研究しているのですが参考にさせてもらいます。こんな田舎までありがとうございました。
  1. 2012/11/08(木) 15:56:21 |
  2. URL |
  3. モハ774-3 #SFo5/nok
  4. [ 編集]

>モハ774-3さん
コメント有難うございます。そして返信が遅くなってしまい申し訳ありません。

先のコメントに続き、またまた地元の方に読んで頂けるとは幸いです。
東武熊谷線の廃線跡は首都圏にあり、かつ廃線後約30年が経つ場所ながら、当時の構造物が色濃く残っている場所ではあるのですが、これは他の廃線跡に比べて…というのが前提でして、普通の感覚では全然残っていないと考えるのが妥当だと思います。
ただ、凄いことに今も妻沼駅跡は東武不動産が所有(看板が掲げられています)していたりと、少し考えると「ん?」と思うような要素が結構あったりするんですよね。

鉄道を使った街づくりを研究されているとのことで、この記事が参考になれば幸いです。
  1. 2012/11/17(土) 00:01:19 |
  2. URL |
  3. ヤツメウナギ #Q3GCKOb2
  4. [ 編集]

お邪魔します。先日たまたま「かめのみち」に行き当たり、そのまま妻沼まで歩き通した者です。それなりに周囲を見ながら歩いていたのですが、敷地区域標には気づきませんでした。興味深く拝読しました。

>ここに踏切があったのかは不明ですが。

>おそらく交差している道路付近に踏切があったと思うのですが…。

「国土画像情報(カラー空中写真)閲覧機能(試作版)」というサイトで確認したところ、秩父鉄道と分かれたところからすぐに築堤となって、国道17号をまたいだ先まで続いており、このあたりはオーバークロスで踏切は無かったようです。となるとあのモニュメントは一体何なんですかね?

なお、昭和49年度の空中写真には単行運転しているキハ2000形が写っていたり、昭和61年度の空中写真にはレールは既にはがされているのに橋梁は残されている様子が写っていたりします。
  1. 2013/05/22(水) 11:32:11 |
  2. URL |
  3. 暗之云 #GCA3nAmE
  4. [ 編集]

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